鬼滅の刃なんかグッときた

こじらせております。

帰りたい!とにかくもう帰りたい!仕事中にそんなことを思う

帰りたい!とにかくもう帰りたい!仕事中にそんなことを思う

 

ぼくは仕事が終わったなら、同僚と雑談などせずに速攻で帰りたい派の人間です。「お疲れ様です」その一言を口に出したなら、ぼくはもう職場の人間ではないのです。気持ち的にはそのつもりです。もう誰にも呼び止められたくなのです。上司と言えども目の前に立ちふさがるなら、ぼくは迷わずはっ倒すでしょう。いえ実際にははっ倒しません。そんなことをしてしまったなら、明日からの人間関係に響くじゃないですか?いちおう大人ですからね。

 

 

上司の写真

 

上司はぼくに言います。「あのさ、ちょっと悪いんだけど・・・」おいおいおいおいおい!です。い、ま、か、よ!です。時間いっぱいあったでしょうに・・・。とにかくもう帰りたい派のぼくにとって、いちばん恐れていることは、もう帰れると思っていたのに帰れない時です。なんてこった・・・。なぜ今なんだ?朝言ってくれたなら・・・。終わらせることが出来たのかもしれないのに・・・。なぜ今なんだ?まあ、わかりますよ。突発的なことってあります。だからね。ええ、わかりますよ。でもね。でも、なぜ今なんだ?まあ、やるんですけどね。

 

 

 

普段は温厚なぼくです。ですが、帰れると思っていたのに帰れない時はもう、キイーーーーーーーってなります。口では言いますよ。「・・・大丈夫ですよ」少しだけ不貞腐れているかもしれませんが。しかし更に心の中では、ぼくの帰りたいが火を噴きます。ぼくの帰りたいはやがて、ぼくの中で暴れ出します。ゴジラ的なモノをイメージしてもらって問題ありません。

 

 

もう帰れると思っていたのに・・・。なんてことだ。ぼくの激しいもう帰りたいを知っている同僚は、ニヤニヤしながらぼくを見ています。ぼくは力いっぱい抱きしめて、耳元で叫んでやりたい気分です。「帰れると思ったのにーーーーーーーーーーーーー!」

 

 

ただ思うのです。なぜぼくはこんなにも帰りたいのだろうか?自分でも不思議なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のもう帰りたいを改めて考えてみる。なぜもう帰りたいのか?

 

なにか予定があるんですか?

 

いえ、予定はありません。ですが、もう帰りたいのです。仮に予定を立ててどこかに行ったとするでしょう。そのような場合でも、ぼくのもう帰りたいは発動します。ちなみに旅行に行った場合も、ぼくのもう帰りたいは発動します。三泊四日の二日目の朝には、もう帰っていいんじゃないのかな?そんな気分になるのです。やがてそれは、観光名所の感動を上回る、もう帰りたいに成長を遂げます。

 

 

 

家に帰って家族と過ごしたいのですか?

 

いえ、一人暮らしです。実家に帰った場合も、そうですね。十時間を越えたぐらいでしょうか、ぼくの中のもう帰りたいがうずき出すのです。ちなみに一人暮らしの家に家族の誰かが来たとしましょう。五時間を越えたぐらいですかね。いつ帰るんだろう?ぼくはそう思い始めます。泊まることは事前に聞いて知っていたにもかかわらずです。

 

 

学生時代はどうでしたか?

 

中学生時代、部活がないテスト週間の時期など、ぼくは帰りの会が終わったなら素早く駐輪場に行っていました。そしてジャガジャガ自転車をこいで帰宅するのです。なんでも校舎から、ぼくの帰る姿を目撃した友人たちは少しヒいたとのことでした。そんなにテスト勉強を早くしたいのかと疑う者もいました。無論テスト期間中です。テスト勉強はします。ですが、それ以上にぼくは、もう帰りたいのです。

 

 

自分のもう帰りたいを自覚したのはいつでしたか?

 

ぼくは生まれて初めてもう帰りたいを自覚したのは保育園の時です。土曜日は半日で帰れました。にもかかわらず、平日は夕方までなのです?何故なのでしょう?ぼくは半日で帰りたいのです。わかりますよ。平日は両親が仕事をしているわけです。だからなんだっていうことは・・・。ですがそれでもぼくは、もう帰りたいと思っていたのです。

 

 

 

あらためて考えをまとめてみる。

 

人は過去の怒りに、再度怒る者です。目の前の人が過度に怒っている場合、過去に晴らすことが出来たかった怒りに対して、改めて怒りをぶつけている場合がありますね。怒りが蓄積されていきます。過去自分がぞんざいに扱われたことに対しての怒り・・・。つまりはそう、ぼくのこれまでの帰れなかった、もう帰りたいが蓄積しているのかもしれません。ぼくの中のもう帰りたいは、禍々しい姿をしていて、都度勤めている会社より大きいのです。「もう帰りたいよ~」「もう帰りたいよ~」叫び声をあげるのです。

 

 

 

 

 

うん?帰ってなにをするんですか?

 

テレビを見たりします。ソフャでゴロゴロしたりします。ただ一刻も早く、一人になりたいのです。くつろげる場にもどりたいのです。

 

うん?一人になりたいのです。くつろげる場にもどりたいのです。
そう思ったことについてぼくは改めて考える!

 

 

 

もう帰りたいとはどこに帰りたいのだろうか?

 

ぼくは以前、一人暮らしのアパートに一人でいるときに「もう帰りたいな」と呟いたことがあります。ほんとうに自然に、ぼくは呟いたのです。ぼくはびっくりしました。なんだ?実家に帰りたいと体が叫んでいるのだろうか?ぼくはひとまず、実家に帰りました。ですがぼくは呟くのです。「もう帰りたいな」

 

 

 

ぼくは気づきました。「もう帰りたい」それは決して後ろ向きな言葉なのではなく、前向きな言葉なのじゃないだろうか?自分が本当に帰りたい場所と言うのは、ここではない何処かなのです。そう、それは理想のあるべき姿の自分なのです。ぼくは本当はここにいちゃいけないんだ。ぼくはもっとやれるんだ。頑張らなくちゃいけない。「もう帰りたい」それは自分自身を高く遠い場所へ引き上げてくれる、前向きな言葉なのかもしれません。

 

 

ぼくは残業中、職場の同僚に「もう帰りたい」前向きな言葉論を話してみました。彼は言います。「いいから手を動かしてくれ」顔は笑っていませんでした。ぼくも逆の立場で彼にそんなことを言われたなら、そう言い返していたでしょう。

 

 

ぼくは帰宅して布団に入り考えてみました。自分が本当はどこに帰りたいのだろうか?
縁側です。ぽかぽかした日向の縁側です。そしてぽかぽかした日向の縁側に辿り着いたとしても、「もう帰りたい」と思うことでしょう。人生はよく旅に例えらえることがあります。それはこういう話なのでしょうか?ぼくたちの「もう帰りたい」はまだまだ続くのです。明日は明日の「もう帰りたい」がある。

 

 

 

 

 

最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。