鬼滅の刃なんかグッときた

こじらせております。

オードリー若林正恭さん『ナナメの夕暮れ』を読んでの感想!

若林正恭さん著書『ナナメの夕暮れ』を読む!

 

オードリーの若林さんの書く本が好きです。若林さんの個性というか、生きづらさがちゃんと描かれているからです。読みながら、ああ~この人にとって社会の中で生きていくということは、とても大変なことなんだな~。だって、考え方がなんだか少し偏ってたりするのです。でもそこが面白かったりするのですが・・・。読み進めていくうちに気づくのです。どうしてぼくはこの本を読み進めているんだろう?寝る暇を惜しんで若林さんの本を読んでいる自分がいる。それはぼく自身も共感しているからだと思います。

 

 

ぼくは若林さんほど、ものごとに疑問を持ったりはしていません。まあそんなもんだろうなあ~と、割り切って生きている部分もたくさんあります。でもそうでありながらも、本当は心のとても深いところでは、全然割りきれてなんていないのかもしれません。その証拠に本を読みすすめながら、若林さん頑張って下さいと応援しつつ、(頑張って下さいだなんて、応援するのも失礼なのでは思いつつです。)実はぼくは、ぼく自身の応援をしているんじゃないだろうか?そんなことを考えてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ナナメの夕暮れ』の目次!

 

第一章

まえがき 

 

再開します

ラウンドデビュー

一人で平気なんですけど

自分の正解

深夜、何をする?

野心と欲望

大人の授業

現実を生きるための

男性ホルモン?

2009年とぼくと

苦労を知らない子どもの30年後

まえけんさん

片頭痛

鍼の効能

なぜ、こんなに怖いのか

キューバへ

机に座って考える?

お悩み相談

僕は紅茶を「野みたい」か?

ヌードルハラスメント

トム・ブレイディ

おっさんはホスト

47年おつかれさまでした!

ベストスコア

SOBA

オリジナル

いいね!と草野球

デスマッチ

耳に痛い話

逃げる正論

言葉の熱湯

花火

凍える手

 

第二章

ナナメの殺し方

AI VS オードリー

いるにはいる異性

片頭痛2

体力の減退

 

あとがき

 

 

第一章は『ダ・ビィンチ』2015年八月号~2018年四月号に掲載されていたものです。第二章は書き下ろしてです。

 

本の帯の後ろ側にはこのように書かれています。

 

ぼくはずっと毎日を楽しんで生きている人に憧れてきた。

ずっと、周りを目を気にしないで自分を貫ける人に憧れてきた。

(中略)

なんとか死ぬまでに、そういう人間になりたいと願ってきた。

だけど、結論から言うとそういう人間になることを諦めた。

諦めたし、飽きた。

それが不思議なことに、「自分探し」の答えと「日々を楽しむ」ってことをたぐり寄せた。

この本には、その軌跡が描かれています。

 

(「まえがき」より)

 

とても生きづらそうな若林さんが、何を見つけたのかがとても気になりませんか?

ぼくは気になってしまいました。若林さんがみつけたモノを自分も知ることが出来たなら、今よりも生きやすくなるんじゃないのかな?そんな期待を抱いてしまいました。

 

 

 

 

 

『ナナメの夕暮れを』の感想!

 

ぼくは自分が二十代前半の頃、スタバでマックを開いて仕事をしている風の人が苦手でした。なんだよ、カッコつけやがって!家でやれよ、そんな風に思っていました。今現在、自分が三十代なってどうでしょう?ぼくはスタバでマックを開くタイプの人間になっています。

 

ぼくは覚えています。だって恥ずかしかったから・・・。初めてスタバでマックを開いた時、最初はドキドキしつつも次第にニヤニヤしてしまいました。すんごい恥ずかしかったのです。それと同時に嬉しかったのです。なんだよカッコつけやがって家でやれよとか思っていながらも、ぼくはその姿に憧れていたんでしょうね。そして少し妬んでいたんだと思います。お恥ずかしい限りです。

 

そんなぼくですが、今ではすっかりスタバでマックを開くことに何の抵抗もありません。ぼくは何かを失ってしまったのでしょうか?時より、そんなことを考えてみる時があります。そういや最近、しょうがないやとか、まあ、いいかとか、選択的に諦めると判断をしていることが多々あるぞ。昔はそんなことしなかったよな~。でもなあ~生きていくってな~。タイヘンだったりもするしな~。妥協妥協の連続だぜ。

 

本書『ナナメの夕暮れ』の中で、若林さんはスターバックスでの注文の際に『グランデ』と言えないと書かれています。自分が気取っているようで恥ずかしいとのこと。自意識過剰であるとのこと。

 

ただ、こうゆう気持ちはどこから来るのかと言うと、まず自分が他人に、スターバックスでグランデとか言ってちゃって気取ってんじゃねえよと、他者に向かって剥いた牙が自分にブーメランのように戻ってきているとのこと。それ、わかります。結果、変に自分で自分にブレーキをかけてしまっているパターンのやつですね。

 

本書のあとがきにて、若林さんは2010年8月からの自分探しと社会探しを終了すると書かれています。理由はもう「だいたいわかった」からとのことです。こんな風に書くとなんだか冷たい印象があったりしますが、そこは若林さんです。紆余曲折ありながらも、すごくシンプルで素敵な結論?答え?に本書の中で辿り着かれております。

 

 

日々を生きていく中で、ダメな自分と言うモノがあったりしますね。そんな中で、若林さんの書かれた本を読むと、とても勇気が湧いてくるのです。

 

若林さん自身の成長の物語でありながらも、読んでいる自分が肯定されている気がするのです。あっ!オレ、とりあえずは生きてていいんだな~、世界にいてもいいんだな~的な。若林さんは言うかもしれません。「そんなこと言ってないよ」でも、いいのです。勝手にそう感じてしまえるのです。

 

ぼくは若林さんの本書を読んで、何故若林さんが「激レアさんを連れてきた。」の司会を任されているのかがわかったような気がしました。自分が変なことを自覚のある人間は、人の変なことに寛容なのです。あっ!逆に過剰にキビシイパターンもあるか・・・。

 

www.tv-asahi.co.jp

 

何はともあれ若林さん、またどこかでエッセイ的な文章書いてくれないだろうかな~とか期待しております。『ナナメの夕暮れ』オードリーの若林さんがとてもすきになる一冊でした。サイコーです。

 

 

 

『ナナメの夕暮れ』を再読してみた感想!

 

半年以上の時間をおいて再度、『ナナメの夕暮れ』を読んでみました。

相変わらず刺さってくる言葉が多いのです。もはや共感の嵐なのです。

 

まえがきの最後はこのような言葉で終わります。

なんでみんなネクタイが苦しくなのだろう?

本当は我慢しているのだろうか。

それとも、もう慣れてしまったのか。

はたまた、最初から全然苦しくなかったのであろうか。

 

社会を表すネクタイ。ぼくはこの文言に若林さんの生き難さのすべてが凝縮されているような気がするのです。

 

楽屋では一言も話さず、コンパにも行かず、バイト仲間とのバーベキューにもいかず、相方とのネタ作り以外は散歩をしているか家で本を読んでいた。その行動パターンを繰り返すことは、プライドが高く、その割に打たれ弱い、だが影響され易い、そんな自分の防衛策だったのだろう。

 

ぼーっとしてる人は何も考えていないんじゃない、猛烈に自分と会話しているのだ。

 

他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを続けると、自分の正解が段々わからなくなる。

 

そういう人は「~のためを思って」という大義を隠れ蓑にして、自分より立場の弱い者から自分の生き方を肯定する言葉をカツアゲしようとする。

 

たとえいい子で、成績が良くて、スポーツもできたとしても子どもは気づいている。これを維持し続けないと愛されないのだ、と。ありのままの自分では愛されないのだ、と。そんな君はずっと苦しかっただろう。親はその子のありのままを愛してあげるべきだった。

でもそれは親にだって難しいことだったのかもしれない。だって、親自体がそのまた親の期待に応えないと愛されないというプレッシャーに苦しんできたのだから。

条件付きの愛しか知らないのだから。

 

他人への否定的な目線は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを奪う。

 

「自分の価値観を聞き入れてくれる異性は世界に一人もいない」と思い込みながら生きている精神的な童貞は、世界に絶望していることとほとんど同じだ

 

”好きなことがある”ということは、それだけで朝起きる理由になる。

”好き”という感情は”肯定”だ。

つまり、好きなことがあるということは、”世界を肯定している”ことになる。

そして、それは”世界が好き”ということにもなるという三段論法が成立する。

 

だから逆に、なんでも否定ばかりしている人は”世界を否定”していることになるから、生きているのが辛いのだ。

それは、”世界が嫌い”ということになるから

 

『ナナメの夕暮れ』に書かれている上記の内容をぼくは無視することができませんでした。なんだか自分のことを言われているようで、なんだか恥ずかしいのです。耳が痛いのです。

 

項目の

2009年とぼく

逃げる正論

 

にいたってはまるで自分のことを書かれいるような気がして、読みながら顔が真っ赤です。どうりでぼくも、こじらせてるなあ~と感じるわけです。お恥ずかしながら、ぼくは未だに時々、生きる意味とか考えてしまう時があります。

 

あとがきにて若林さんは言われています。

誰と会ったか、と、誰と合ったか。

俺はもうほとんど人生は”合う人に会う”ってことで良いんじゃないかなって思った。

 

もし、生きづらさを感じられているとしたら、『ナナメの夕暮れ』読んでみるのもいいかもしれません。生きづらさは解決されないかもしれません。でも、少し心が楽になるやもしれません。

 

 

最後まで読んで頂き、

ありがとうございました。

 

 

 

 

ナナメの夕暮れ

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