鬼滅の刃なんかグッときた

こじらせております。

映画『ジョーカー』感想!ネタバレあり解説これ、けっこうみんな共感しちゃうんじゃ・・・

映画『ジョーカー』を見ました!

 

ぼくは映画『ジョーカー』を見る前、ダークナイトのジョーカーがあまりにも魅力的だったため、どうなんだろう?大丈夫かな?映画を楽しむことはできるのかな?

 

そんな風に思っておりました。それは全くの杞憂に終わりました。

映画『ジョーカー』派手なアクションはありません。ドッカンバッカンのド派手な爆破シーンもありません。ただ、心に・・・。自分の心にどっしりと、なんともいえない感情が芽生えます。上映中、ぼくは泣いていました。決して感動の涙ではありません。じゃあ、どうしたら良かったんだよ。彼は生き残るために、いや生きていくためにどうしたらよかったんだろうか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

ご注意を!

以下、作中の内容にふれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画ジョーカーの感想!

 

ないのです。分岐点が見当たらないのです。あそこでああしとけば、別の道にすすめていた可能性があったのに・・・。そんな分岐点が、主人公アーサー(のちのジョーカー)には、少なくともぼくには見つけられませんでした。

 

彼は生きていくために『ジョーカー』にならざる得なかったのです。映画の終盤、彼は言います。ジョーカーになってしまっている彼は言います。

場所はアーカム精神病院でしょうか?

手錠をかけられ、真っ白な患者さんが着る服?を着ています。

精神鑑定を受けているのでしょうか?

鑑定員的な人物の質問に、ジョーカーは笑い出します。

 

ジョーカーは「おもしろいジョークが浮かんだんだ」的なことを言います。
鑑定員はジョークの内容を聞きます。

 

ジョーカーはジョークの内容を語りません。
ジョーカーは言います。「どうせ理解できないから」

 

これだけ読むとなんのこっちゃい?だと思います。が、映画『ジョーカー』の中で、主人公アーサーは諦めたのです。いや彼主観で言うなら、理解したのです。

ジョーカーは、誰とも分かり合えることはない。誰も自分を理解できない。なんなら理解しようともしれくない。そう理解したように見えます。そしてそれを受け入れました。自分は孤独。ただ一人、だがそれでいい。だからこその自由と行動力を手に入れます。

 

誰とも分かり合うことはない。そんな孤独を受け入れたアーサーは、ジョーカーになっています。そして圧倒的な行動力を身に着けるのです。誰も自分をわかってくれることはない。ならば自分も世界のことなんて知らん。やりたいことをやるだけだ。ジョーカーは孤独を受け入れつつも、無意識なのか?意識的なのか?世間を恨みつつもあります。おそらくこのジョーカーが、仲間を得る事はないんじゃないだろうかと・・・。

自分以外の世間との孤独。理解などありえないということを受け入れた事実・・・。いや、彼にとっての事実。それが事実でないなら、自分の存在ってなに?なってしまいます。

 

ジョーカーになりつつあった、主人公アーサーは言います。

「誰にも見えてないのかもしれない。でも俺は存在している」的なことを・・・。

これはアーサーの社会での在り方です。ただ、映画を鑑賞している我々も、このセリフには少なからず共感してしまう部分があったりします。

 

なればこそ、アーサーがどんどんジョーカーになっていく過程にコワさを感じつつも、少しの爽快さを感じてしまうのです。

 

そしてその感情を理性で抑えてみようと思いつつも、映画のラストシーンを、これはこれでキレイだな・・・。。後ろめたくもありつつも・・・そんな風に思えてしまいました。応援は出来ない。ジョーカーの行動に手で小さくガッツポーズをとることもできない。だがしかし、だかしかし、共感・・・とまでは言えないけど、爽快に思えてしまった自分がいる。もちろん人には言えないけど。だってそれは、ジョーカー的な部分が自分にもあるってことだから・・・。でも、そのジョーカー的な部分って、おそらく、みんなにあるんじゃないだろうか?無垢なお子さんはべつにしつつも、これ意外と、みんな共感できちゃう映画なんじゃん!

 

そうなのです。多分、映画『ジョーカー』けっこうみんな共感できちゃうんじゃん・・・そのコワさなのです。

 

作中のゴッサムシティは市民の不満がたまっていきます。格差も広がっていく感じなのです。閉塞感・・・。そこに現れた『ジョーカー』カリスマの誕生です。

 

作中、ジョーカーが刑事二人に追われるシーンがあります。そこでもし捕まっていたなら、しっかりジョーカーになってしまったジョーカーは誕生しなかったことでしょう。8割ジョーカーで済んだかもしれません。ただ映画『ジョーカー』を鑑賞しているぼくは、ジョーカー逃げろ!そんな風に思ってしまっておりました。

 

10割ジョーカーなってしまったジョーカーは、今後行動を起こし、10割の壁を越えて、より色濃くジョーカーになっていくのでしょう。もはや何を言っているのかわからないかもしれません。ニュアンス伝われば幸いです。

 

 

感想としては『楽しかった』『面白かったよ』そんな風に一言では言い表せません。小学生が見るよりも、大人が楽しめる映画なのです。映画『ジョーカー』は一人の男がジョーカーになっていくまでを描いた作品です。切ないし、哀しいし、異様だし、でも美しくも見えてしまいます。映画『ジョーカー』これは2、3回見ても飽きない映画のヤツです。

 

 

主人公のアーサーがどういう過程でジョーカーになっていくのか?

男たちに暴行を受けて事故的に銃殺してしまったり・・・。お母さんに虐待を受けていた過去を知ったりします。母が実はアーカム精神病院に収容されていた事実を知ったり・・・。自分が養子だという事実を知ったり・・・。仕事をクビにさせられたり・・・。コメディーショーに出演して、司会者を射殺・・・。

 

でもほんとうは、可能だったなら主人公アーサーは普通に生きたかっただけなんじゃないだろうか・・・そんな風に思えてしまう。切なさ・・・。ジョーカーに成らざる得なかったアーサー。映画『ジョーカー』コワいし、切ないし、哀しいし、少し爽快感もあるし、後ろめたさもあるし、忙しい。じっくり見ながらも、感情は忙しいのです。

 

作中でジョーカーが踊るシーンがいくつができてきます。

長い階段で踊るジョーカー・・・。

もうこの時のジョーカーは、自分がジョーカー的な生き方をしていくことを受け入れています。軽快に気分良さそうに踊るのです。それがとても哀しい・・・。

 

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映画『ジョーカー』の出演者

 

ホアキン・フェニックス

 

ロバート・デ・ニーロ

 

ザジー・ビーツ

 

フランセス・コンセロ